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Maehara’s commitment

傘の手元ができるまで

わたしたちは「傘」という字に含まれる4つの「人」は、
1. 生地を織る
2. 骨を組む
3. 手元を作る
4. 生地を裁断縫製する
それぞれ4つの分野の職人たちを表していると考えています。前原光榮商店はこの4つの技術を高め、継承してきました。

傘の手元ができるまで

今回は「手元をつくる」という工程にフォーカスして、大阪府で木の手元を製造されている佐伯工芸さまにインタビューをさせていただきました。私たちが普段、何気なく使っている傘の成り立ちを、ぜひご覧ください。

佐伯工芸 佐伯 宜之さま

佐伯工芸 佐伯 宜之さま

始まりとしては、祖父が金細工の職人としてだんじりなどの装飾をしていたらしいです。戦争で疎開して仕事がなくなってしまったとき、昔は傘も金細工を施してあるということもあり、その関係で傘の金細工をつくり始めたことで、佐伯家と傘とのつながりができました。

その後、佐伯工芸として私の父親が創業し、50年ほど前にこの場所に移り住んできた際に立ち上げられた会社です。事業としては、傘の手元の木工業を一本でやっています。私は、約10年前に先代である父の手伝いを始めまして、今は3代目として引き継ぎました。

ここは実家になるんですけれども、私が子どもの頃は隣の敷地もすべて、うちの敷地で工場もっと大きかったんです。職人さんもおりまして、子どもの頃は生活とともにこの職場がありました。いろんな風景や音と常に一緒に過ごしてまして、学生の頃はアルバイトとして作業を手伝うこともありました。ただ、父親からはずっと「継がんでいい」と言われていたんです。そのため、学校を卒業してからしばらくは普通に就職してサラリーマンをしていたんです。

その後、独立起業しまして、少しずつ軌道に乗り人に任せられるようになりました。そのとき、これからさらに事業を拡大するか新事業を始めるかと考えていたとき、ふと「佐伯工芸の傘の仕事はどうなるんだろう?」と思ったんです。そうして父と話す中で、父は変わらず継がなくて良いと言ってくれたのですが、幸い自分の事業で生計は立っておりましたので、代々続いた家業を残していこうとスタートしたんです。

何のドラマか、私が家の仕事を始めたときには何の兆候もなかった父が、体調を崩し、そこからもあれやあれやという間に亡くなってしまいました。今思うと本当にギリギリセーフで佐伯工芸がつながったと感じています。ただ、つながりきれてないところもたくさんありました。当初は非常に苦労しましたが、父親が性格的にとても几帳面で記録や書類などすべて残していたんです。そういったものをいろいろ手繰りながら、昨今は部材の発注などもインターネットでできる時代ということもあり、なんとか今日までつないできました。

基本的な流れとしては、手元のカタチを形成し、次に磨いて色を染めます。最後に防水のためにコーティングして、部材を取り付けるというのが大まかな流れですね。長傘のような長い手元と、折りたたみのような短い手元で細かな工程は別れます。

長い傘に作る手元というのは基本的にくるっと湾曲しているので、木を曲げるという工程が必要になってきます。一方で、折り畳みの傘については曲がってないので、木を削り出す作業が必要になります。手元の木には、楓や籐などさまざまな素材があります。楓なんかはすごい硬いので曲げるためには大掛かりな設備が必要になります。

籐に関しては、丸い棒の状態になっている籐の材料を入手して、それを熱をかけて曲げます。曲げた後は、磨いてカタチを整えます。磨いたものは木の色をしているので、それを染めていきます。

形を整え手元を磨く


昨今流通している傘の手元は、ほとんどスプレーで色をかける塗装ですが、私がやっているのが「草木染め」といって自然の染料を使って染めるという形式を採用しています。おそらく、これを国内でやっているところはないんじゃないかと思います。すごくまどろっこしいですし、手間もかかるんです。ただ何が良いかというと、塗装の場合は色が上についているだけですが、染めの場合は染料が染み込んでいることです。傘の手元は使ってるうちに当たったりとか擦れたりとかして剥げてくると思うんですが、染めていると剥げても色が染み込んでいるので見えにくいんです。あとはやっぱり使っていくうちの色合いの変化や美しさが出てくるというのが、染色のいいところでありますね。

“阿仙”(あせん)という木のヤニ成分が固まってできたものや自然の染料を鍋に入れてグラグラ炊いて、そこに手元を漬けて染めていきます。イメージとしては、藍染など生地などを染めるのに近いですね。

“阿仙(あせん)”


これも父親の性格のおかげなんですけれども、すごいストック魔というかモノをたくさん買う人だったんです。封筒とか便箋も使いきれないほどで(笑)。同じように、染料など仕事の材料もたくさん仕入れていたので、すっごく助かっています…。
今は年々入手が困難なっていますし、値段もすごく上がっているので。ストックがあるだけでなく、染料と水の配合なども細かにメモを残してくれているので、いまは「秘伝の書」として重宝しています。

基本的にしっかり磨けているとキレイに染まるし、きれいに塗り上がります。ですから、カタチを形成して磨くところでいかにムラなく、その先の最終の工程を見据えながら仕上げていくかっていうのがポイントかなと思います。
特に染めに関しては、自然の原料で自然のものを染めていますので、同じ材料を同じ染料で染めても仕上がりの色にすごく幅があるんです。それもプラスチックなどの工業製品にはない良いところなのかなと思っています。

最終の工程を見据えながら仕上げる


まっすぐの木を手元のカタチに曲げるのは本来はすごく無理があるんですね(笑)。当然、木も嫌がり抗おうとするんです。たとえば、節があるととても硬くて曲がらないので、木のどの部分だったのか、傷や穴はないかなど1本1本の状態を見て、どの角度から力を加えたら割れずにカタチになるかを考えています。基本的には10本曲げると1本はうまくいかないのですが、そのロスを少し減らすように気を配りながら取り組んでいます。

1本1本の状態を見て考える

ものづくりなので、一番のやりがいって自分が作ったものが使われているっていうところがやりがいだと思うんです。なかなか自分自身がこの仕事をしている中で直接お客様と触れることありませんし、使っているのを見かけることもほぼないですからね。ですから、やはり「注文をいただける」ということが必要とされてることの裏返しだと思いますので、“自分が必要とされてるんだな”と感じることが一番のやりがいですね。

傘はいろんな部品が集合してできているものなので、何かが欠けると当然できなくなってしまうと思うんです。私がいなくてもいろんな方で代用できるんですけれども、前原さんのブランドの中で、国内で一本一本手作りで手元を染めているというものが何か強みというか独自性になっていたら嬉しいですね。もし手元を見て「これいいな」と思ってもらえれば、それは非常に幸せです。そういった観点で傘から語りかけてくるものに出会ってほしいなと思ってます。

 

※前原光榮商店で取り扱っている手元は、今回ご紹介した佐伯氏のほか複数の職人が手掛けております。そのため、お買い求めいただける手元すべてが佐伯氏製造ではございません。予めご了承ください。