蔵前には、新しい感性を持つ店が次々と生まれる一方で、街の記憶を受け継ぎながら、変わらぬ味を届け続ける店があります。蔵前の地で、明治20年(1887年)に創業した「菓匠 榮久堂」。四季折々の和菓子から、70年近く愛されてきた「ソフトバター・ママレード」まで、店頭には世代を超えて親しまれるお菓子が並びます。
今回お話を伺ったのは、榮久堂の五代目永見健さん。受け継いできた味を守ること、職人の勘を育てること、そして、変わらない店でありながら新しい一品を残すこと。和菓子づくりと蔵前の街への想いについて、じっくりとお聞きしました。


5代目の永見さん
A. 榮久堂の創業は、明治20年の1887年です。初代が長野からこの地へ出てきて、お菓子屋にするか、陶器屋にするかで迷った末に、お菓子屋を始めたと祖母から聞いています。
今は四代目である父が社長を務め、私は五代目としてお菓子づくりに携わっています。
関東大震災と戦争によって、店の建物は二度失われました。そのため、現在の店舗は三度目に建てられたものになります。それでも、創業以来ずっとこの場所で商いを続けてきました。「榮久堂」という屋号も、この土地に由来しています。かつて、この辺りは蔵前ではなく「榮久町」と呼ばれていました。その町名から、榮久堂と名付けられたそうです。

A. お互いの顔が見えて、つながりの深い街だと思います。
私はまだ41歳なので、ずっと昔のことまで分かるわけではありませんが、子どもの頃と比べると、マンションやホテルなどの高い建物が増えました。以前は店を出て川の方を見ると花火がちらっと見えましたが、今はもう見えません。ここ数年は海外から訪れる方も増えて、街の景色は大きく変わったと感じます。
一方で、榮久堂には祖父や父の代から通ってくださっているお客さまがたくさんいます。小さい頃の私を知っている方から「大きくなったね」と声をかけていただいたり、今度は店にいる私の子どもを見て、「大きくなったら継いでくれるといいね」と言っていただいたりすることもあります。
蔵前を離れた方が、お墓参りなどで近くに来たとき、「懐かしくて」と立ち寄ってくださることも少なくありません。世代を越えてお客さまとつながり、この場所で続いてきた時間を実感できることは、この街で商いをする大きなやりがいですね。
A. 良い材料を使い、仕入れたものに変化がないかを確かめながら、技術を磨き続けることです。どれを選んでいただいても、きちんとおいしいと思ってもらえるお菓子をつくらなければならないと考えています。
和菓子というと、練り切りのような美しい上生菓子を思い浮かべる方も多いと思います。もちろん、それも和菓子の大切な魅力です。ただ、私自身は、日々の暮らしのなかで気軽に食べていただける距離感を大切にしたいと思っています。
なかでも、和菓子の土台となる餡は大切にしています。時代ごとにさまざまな流行がありますが、餡は長く残り続けてきました。結局、シンプルなものほど長く愛されるのだと思います。だからこそ、まずは一番基本となるものを、きちんとつくることを大切にしています。

A. 四季折々の風景や行事、文学など、和菓子にはさまざまな文化が含まれています。
たとえば、同じもみじの形、同じ材料でつくったお菓子でも、初夏なら「青楓」、秋になれば「紅葉」や「錦繍」と名付けることができます。同じ姿のお菓子であっても、季節や店の解釈によって名前が変わる。そこが和菓子の面白さだと思います。
店内や軒先のしつらえにも、季節を取り入れています。ひな祭りにはお雛さまを、端午の節句には鎧兜を飾り、お祭りの時期には手ぬぐいや扇子を置く。軒先の草木も、季節ごとに花を咲かせ、葉の色を変えていきます。
和菓子は、季節の真ん中だけでなく、ほんの少し前から並べることも大切です。お菓子を見たお客さまが、「そろそろ、あの季節だね」と気づく。街のなかで季節を感じにくくなった今だからこそ、そんな小さなきっかけを届けられたらと思っています。
職人たちにも、通勤途中に咲いている花や飛んでいる虫、色づき始めた葉に目を向けるよう伝えています。和菓子職人は、お菓子をつくる技術だけでは務まりません。日々の移ろいを感じながら暮らすことも、仕事の一部なのだと思います。

A. 技術が上がっていると実感できる一方で、研鑽に終わりがないことですね。
和菓子は歴史が長く、掘れば掘るほど発見があります。「こういう意味だったのかもしれない」「こちらのつくり方の方がよいかもしれない」と考え、試行錯誤する。そのなかで何かを見つけ、一歩ずつ前へ進めることは、とても楽しいです。
ただ、技術だけでなく、歴史や文学、季節のことなど、自分のなかに蓄えるべき教養にも際限がありません。どこまでも広がっていく面白さと、学び続けなければならない難しさ。その両方が、和菓子づくりにはあると思います。
A. ソフトバター・ママレードは、三代目にあたる祖父が考案したお菓子です。四代目である父が生まれた頃からあったはずなので、つくり始めてから70年ほどになります。
生まれたのは、戦後10年ほどのバターがまだ貴重だった時代です。そんな時代にあっても多くの方に美味しいお菓子を味わってほしいと考え、このお菓子をつくったと聞いています。
配合やつくり方は当時からほとんど変わっていません。特別に華やかな装飾があるわけでもありませんが、そのシンプルさこそが、長く愛されてきた理由ではないでしょうか。
私自身も、いつかシンプルで長く残るお菓子をつくりたいと思っています。

A. 機械に任せても同じものができるのであれば、私たち職人がつくる意味は薄くなってしまいます。だからこそ、「手でつくるからこそ届けられるもの」を提供することが大切だと思っています。
効率化そのものが悪いわけではありません。ただ、何のための効率化なのかは考えなければならない。つくる側の都合だけでなく、「お客さまにおいしいものを届ける」という目的から考えたとき、まず磨くべきなのは職人の技量ではないかと思うんです。
もちろん、手をかければよいというわけでもありません。見た目が美しく、おいしく、必要な数を無理のない価格でつくる。そのすべてのバランスを整えることが、仕事としてお菓子をつくる職人には求められます。
私たちがつくっているのは、作品である前に、あくまで人が食べるものです。その前提を忘れず、味も姿も、つくる速さも含めて高めていきたいと考えています。
A. 私は、最初から勘だけに頼らないことが大切だと思っています。
職人の勘は、生まれつき備わっているものではありません。これまで見たもの、聞いたもの、触れたもの、食べたもの、嗅いだもの。そうした経験の積み重ねから生まれるものです。
たとえば餡を同じ大きさに分ける作業なら、目で見た大きさ、手に持った感覚、実際に量った重さを何度も照らし合わせる。そのずれを少しずつ小さくしていくことで、やがて自分なりの勘が身についていきます。
若い職人に教えるときも、まず作業を細かく分解し、目標までの道筋をできるだけ分かりやすく伝えるようにしています。昔と今では、働き方も使える時間も違います。かつて10年かけて身につけてきたものを、今の時代にも10年で届けるためには、教え方を工夫しなければなりません。
一方で、「見て覚える」ことにも大切な意味があります。私自身、菓子店で3年、茶の先生のもとで1年修業しました。お茶の稽古では、その場でメモや撮影ができないため、集中して見て覚え、帰ってから書き留めていました。与えられたことを受け取るだけでなく、自分からつかみ取ろうとする。その姿勢も、次の世代へ伝えていきたいと思っています。
A. 「変わらない」ことを大切にしたいです。
今は時代の流れが速く、次々と新しいものが生まれては、忘れられていきます。そんな時代だからこそ、「いつ来てもおいしい」「昔食べた、あの味だ」と思っていただける安心を、変わらず届けていきたいです。
店に並んでいるお菓子の多くは、私が考えたものではありません。先代たちが残してくれた味を、いつ、誰が食べてもおいしいものとして受け継いでいく。そのうえで、私自身の考えを表した新しいお菓子を、何か一品でも残したいと思っています。
ただ、珍しい材料を使えば、それだけで新しく見せることはできます。でも、私は和菓子という木に新しい枝を足すよりも、その幹そのものを少し成長させるようなお菓子をつくりたいんです。
60年、70年前にもあった材料で、当時の職人にもつくれたはずなのに、誰も思いつかなかったもの。誰もが知っているものを、少し違う角度から捉えることで生まれるもの。それが、私にとっての「新しいお菓子」です。
変わらない味を守りながら、和菓子の幹を育てるような一品を残す。それが、五代目としての目標です。

■今回取材したお店
東京都台東区蔵前4-37-9
TEL:03-3851-6512
営業時間:
月曜日 9:00~18:00
火曜日 定休日
水曜日 9:00~18:00
木曜日 9:00~18:00
金曜日 9:00~18:00
土曜日 9:00~18:00
日曜日 9:00~18:00
不定休あり
