わたしたちは「傘」という字に含まれる4つの「人」は、
1. 生地を織る
2. 骨を組む
3. 手元を作る
4. 生地を裁断縫製する
それぞれ4つの分野の職人たちを表していると考えています。前原光榮商店はこの4つの技術を高め、継承してきました。

傘に施された、美しい刺繍。
色鮮やかな模様に目を奪われますが、その表現を支えているのは、一本一本の刺繍糸です。刺繍糸は、原料となる糸がそのまま使われているわけではありません。細い繊維を撚り合わせ、染め、巻き直し、検査する。いくつもの会社と職人の手を経て、ようやく製品として完成します。
今回お話を伺ったのは、山梨県富士吉田市で「撚糸」を手がける土屋繊維株式会社と、1931年の創業以来、刺繍糸づくりを続けてきたパールヨット株式会社です。
糸を撚るとは、どのような仕事なのでしょうか。そして、一本の刺繍糸の美しい光沢や色彩は、どのように生み出されているのでしょうか。普段はなかなか目にすることのできない、刺繍糸づくりの舞台裏についてお話を伺いました。
土屋繊維 代表取締役社長 土屋 英さま

― はじめに、土屋繊維さまの歴史について教えてください。
土屋繊維は、創業から数えて今年で61年目になります。法人化してからは、38年ほどになります。
私たちが工場を構えている山梨県富士吉田市は、古くから織物産業が盛んな町です。現在では観光地としても知られていますが、私たちが創業した60年ほど前は、織物を中心とした繊維関係の仕事が数多くありました。
先代が結婚を機に独立することになり、実家も繊維関係の仕事に携わっていたことから、「撚糸」の仕事を始めたのが土屋繊維の原点です。

― 「撚糸」とは、どのような仕事なのでしょうか。
簡単に言えば、糸に撚りをかける仕事です。
昔は、綿や麻などの天然繊維を手で伸ばし、ねじりながらつなぎ合わせることで糸をつくっていました。繊維は、ただ並べただけではバラバラになってしまいます。それを撚り合わせることで、はじめて一本の糸として成立します。当時は、糸をつくることと、糸を撚ることがひと続きの作業だったわけです。
その後、産業革命によって機械化が進み、糸そのものを工場で生産できるようになりました。すると、糸をつくる工程から、撚りをかける工程が分かれ、「撚糸」が一つの産業として成立していきました。
見た目には同じ一本の糸でも、釣り糸のようなものは「モノフィラメント」といって、一本の太い繊維でできています。一方、刺繍糸などに使われる糸は、見た目には一本でも、その中に何本もの細い繊維が入っています。たとえば「30フィラメント」と表示されている糸であれば、30本の細い繊維を束ねて、一本の糸にしています。
一本の太い繊維だけでつくると、どうしても硬い糸になってしまいます。細い繊維を何本も束ねることで、刺繍糸に必要な柔らかさやしなやかさが生まれます。ただし、細い繊維を束ねただけでは強度が足りません。そこで、30本の繊維を撚り合わせ、一本の糸としての強さを持たせていくのです。
― レーヨン糸の撚糸は、どのように進めていくのでしょうか。
レーヨン糸は、最初は大きな束のような状態で送られてきます。
まず、その糸を広げ、撚糸機にかけられる形へ巻き取るのが最初の工程です。弊社で取り扱っているものは一つ約625グラムで、長さにすると4万8000メートルほどあります。
最初の巻き取りだけでも、3時間半から4時間ほどかかります。その後、別のボビンへ巻き返しながら撚りを入れていきます。糸を送り出す側と、巻き取る側を回転させ、機械を調整することで、一メートルあたりに指定された回数の撚りをかけます。
4万8000メートルの糸を、最初から最後まで指定どおりに撚るには、約80時間かかります。
撚り終わった糸は、染色工場で染められるように、もう一度別の形へ巻き直します。そこまでが、私たち土屋繊維の担当です。

80時間も機械を動かし続けますが、ただ機械を動かしておけばよいわけではありません。途中で糸が切れたり、巻き方に乱れが出たりしないように、常に状態を確認する必要があります。
特にレーヨン糸は、水分の影響を非常に受けやすい扱いづらい素材です。ポリエステル糸には、ほとんど水分が含まれていません。一方、レーヨン糸には、公定水分率で11〜13%ほどの水分が含まれています。
この水分があることで、レーヨン特有のしなやかさが生まれます。しかし、完全に乾燥させてしまうと、糸がパリパリになってしまいます。私たちの工場がある地方は、冬になると空気が乾燥します。レーヨン糸は、置いておくだけでも水分が抜けてしまいます。さらに、撚糸では約80時間にわたり糸を回転させ続けます。遠心力も加わるため、巻き上がった頃には、水分がかなり抜けてしまいます。
それを防ぐために、工場内では加温と加湿を行っています。ただ、それでも水分が抜けることを完全には防げません。

仕上がった糸を納品すると、お客様から「重量が軽いのではないか」と言われることがあります。特に空気が乾燥する時期には、どうしても水分が抜け、その分だけ重量が軽くなります。
ただ、糸の長さが短くなっているわけではありません。
染色の工程でも、一度水分を含ませた後に乾燥させるため、同じように重量が変化します。レーヨン糸は、水分と切り離して考えられない素材なのです。
―仕事をするうえで、特に大切にしていることを教えてください。
レーヨン糸は、箱から出して、そのまますぐ機械にかけられるものではありません。
一つひとつ糸の束を広げ、巻き取れるように手をかけなければ、作業を始めることができません。その準備をしながら、糸の状態や品質も確認しています。
そして、できる限り途中で糸を切らず、きれいに巻き上げることを大切にしています。
糸なので、どうしても切れることはあります。それでも、自分が担当した糸を一度も切らず、最後まできれいに巻き切ることができたときは、「よかったな」と思いますね。
そこには、やはり仕事としての充実感があります。

―撚糸の仕事は、今後どのように変化していくと思いますか。
将来的には、糸をつくる工場の中で、撚糸まで行われるようになる可能性もあります。
もともとは、糸をつくることと撚ることが同じ工程でした。工業化によって別々の仕事になりましたが、省力化や付加価値の向上を考えれば、糸のメーカーが必要な撚りまで入れた状態で出荷することも考えられます。
そうなれば、私たちの仕事の一部はなくなるかもしれません。
一方で、すべての糸を同じ規格で大量につくるのであれば、大きな工場で対応できますが、実際にはお客様ごとに求める撚り方が違います。用途や数量に合わせて、細かく条件を変える必要があります。
少量で、多様な要望に柔軟に対応すること。
そこに、専門の撚糸会社として、これからも担える役割があると考えています。
パールヨット代表取締役社長 川口 忍さま

―パールヨットさまの創業について教えてください。
パールヨットの原点は、1931年、昭和6年にあります。
先々代にあたる川口十三が、現在の東京都台東区で、シルクの刺繍糸や縫製用の糸などを扱い始めたのが創業です。川口は、独立する以前、糸を扱う店で丁稚として働いていました。そこで経験を積み、昭和6年に独立したと聞いています。
大きな転機は、三つほどあったと考えています。
一つ目は、刺繍の工業化です。
工業用の刺繍機が普及し、さまざまな場所に刺繍業者が生まれました。衣服へのワンポイント刺繍やゴルフウェアなどが流行したこともあり、刺繍糸の需要も大きく伸びていきました。
その中で特に大きかったのは、品質に厳しいことで知られていた大手アパレルメーカーから、私たちの糸をご指定いただいたことです。求められる品質に応えるなかで、私たち自身も鍛えていただきました。その経験が、現在の品質につながっていると思います。
二つ目の転機は、アパレル産業の海外移転です。
生産拠点が中国をはじめとする海外へ移り、国内の刺繍糸需要は大きく落ち込みました。私たちの会社も、その波に巻き込まれ、売上が大きく減少した時期があります。
三つ目は、需要の移動に合わせ、中国に代理店を設けたことです。
現地でも糸を供給できる体制を整え、時代の変化に対応していきました。最盛期と比べれば売上規模は小さくなっていますが、現在まで会社を続けることができたのは、その時々の状況に合わせて歩んできたからだと思います。

―現在、主力となっている製品は何でしょうか。
現在の主力は、レーヨンの刺繍糸とポリエステルの刺繍糸です。
中でもレーヨン刺繍糸は、私たちを代表する製品です。レーヨンならではの美しい光沢と、刺繍したときの滑らかさが大きな特徴です。見る角度によって上品に光を反射するため、刺繍に豊かな表情を生み出してくれます。
特にレーヨン糸では「スレン染色」を行っていることが、大きな特徴です。
スレン染色は、非常に堅牢度が高い染色方法です。その分、染料や工程の扱いが難しく、ほかのメーカーでは同じ方法を続けることが難しいとされています。
現在、レーヨン刺繍糸にスレン染色を行い続けている会社は、おそらく世界でも私たちだけではないかといわれています。簡単に続けられる技術ではありませんが、長年培ってきたノウハウを生かしながら、現在も守り続けています。
特に違いが表れるのが、日光に対する色あせのしにくさです。
一般的な反応染色も十分な堅牢度がありますが、スレン染色は、さらに耐光性に優れています。比較のため、一般的な反応染色の糸と、スレン染色の糸を、同じ状態で車のダッシュボードに置いたことがあります。
一か月、二か月、三か月と時間が経つにつれ、一般的な染色の糸には少しずつ色の変化が見られました。一方、スレン染色を施した糸は、比較的色の変化が起こりにくい結果となりました。
長く使われるものや、光に触れる環境で使われるものにとって、この耐光性は大きな強みになります。

―「パールヨット」という社名には、どのような意味が込められていますか。
これは先代から聞いた話になりますが、「パール」は真珠を意味しています。
私たちの主力製品であるレーヨン刺繍糸には、真珠のような美しい光沢があります。その特徴を表したのが「パール」です。
「ヨット」には、会社としての歩み方が込められています。
エンジンを積んだパワーボートは、自らの力で勢いよく進みます。一方、ヨットは風を受け、風の動きに合わせながら海を進んでいきます。
急速に大きく成長するのではなく、時代の風を受けながら、ゆっくりでも着実に成長していけばよい。そんな考えから、「パールヨット」という名前がつけられたと聞いています。
―刺繍糸の品質を左右する、最も重要な工程はどこでしょうか。
一つに絞るのは、とても難しいですね…。
刺繍糸づくりの工程は、すべて密接につながっています。どこか一つでも疎かになれば、最終的な品質に影響します。大きく分けると、原糸に撚りをかける「撚糸」、色をつける「染色」、製品の形に整える「巻き」、そして検査と出荷があります。
撚糸の工程に問題があれば、染めむらが起こったり、刺繍をしたときの縫い上がりに影響したりします。染色や巻きの工程に問題があっても、最終製品の品質を保つことはできません。そのため、「どの工程が一番重要か」ではなく、すべての工程で品質を守ることが大切だと考えています。
―刺繍糸が完成するまでの流れを教えてください。
まず、原糸が撚糸会社へ運ばれます。そこで、一度糸を巻き戻し、用途に合わせた撚りをかけます。撚糸が終わった糸は染色工場へ送られ、色をつけていきます。

染色には、糸を巻いた状態で染める「チーズ染色」などの方法があります。染色釜に糸を入れ、染料を循環させながら、糸の内側まで均一に色を染み込ませていきます。

染色が終わった糸は巻きの工場へ運ばれます。そこで再び糸を巻き返し、一本一本、販売する製品の形へ整えていきます。最後に検査を行い、基準を満たしたものを出荷します。

撚る、染める、巻く、検査する。
それぞれの工程を異なる会社や職人が担い、連携することで、一本の刺繍糸が完成します。
―長く刺繍糸をつくり続けるなかで、どのようなことを感じていますか。
先日、長年私たちの刺繍糸を使ってくださっている刺繍作家の方を訪ねる機会がありました。
刺繍の仕事そのものを続けていくことが難しくなっているなかで、「私たちはずっとパールヨットの糸を使ってきた。これからも続けてもらえるのか心配している」と声をかけていただきました。
その言葉を聞いて、私たちの刺繍糸が、単なる材料ではなく、作家の方の表現や仕事を支える存在になっていることを改めて感じました。自分たちが会社を続け、糸をつくり続ける意味について、あらためて考えさせられましたね。

―現在インタビューを行っている「カフェラボ」は、どのような場所なのでしょうか。
私たちの仕事は、刺繍糸をつくり、販売することです。
ただ、糸を使って作品をつくる作家の方やアパレル企業、刺繍機のメーカーなど、刺繍に関わる人たちはたくさんいます。
カフェラボを、私たちがハブとなって、そうした人たちをつなぐ場所にしていきたいと考えています。
糸を売るだけではなく、作家とメーカー、技術と表現、人と人をつないでいく。
そのつながりから新しい仕事や作品が生まれ、刺繍業界全体が少しでも広がっていくこと。そして、次の時代へ続いていくこと。
この場所を活用しながら、皆さんとの関係をつくっていきたいと思っています。