オンラインショップへ

Maehara’s commitment

傘の生地ができるまで

わたしたちは「傘」という字に含まれる4つの「人」は、
1. 生地を織る
2. 骨を組む
3. 手元を作る
4. 生地を裁断縫製する
それぞれ4つの分野の職人たちを表していると考えています。前原光榮商店はこの4つの技術を高め、継承してきました。

傘の生地ができるまで

今回は「生地を織る」という工程にフォーカスして、山梨県で小巾(※)の生地を織られている羽田商店さまにインタビューをさせていただきました。私たちが普段、何気なく使っている傘の成り立ちを、ぜひご覧ください。

※小巾とは、60cm程度の幅が狭い生地のこと。「シャトル織機」と呼ばれる昔ながらの機械が使われます。シャトルと呼ばれる器具が往復を繰り返して、一本続きの緯糸を経糸に通していく方式。幅は二等曲線三角形のコマ一つ分のため、効率は落ちますが緯糸は切れることなくずっとつながったまま織られ、洗練された高級感あふれる仕上がりになります。

羽田商店 羽田 安さま

羽田商店 羽田 安さま

羽田商店は、父の代からなのでおおよそ75年ほどの歴史になります。その前は、父が母と結婚する前に母の実家の方でもやっていたと聞きます。私は今年で65歳になりますので、自分自身がこの傘の業界で勤め始めて47年が経ちますね。
僕が若い頃は、機屋の息子は地元に残って家業を継いでいくというのが普通でしたが、父の勧めで先に傘のメーカーに入社して修業をしました。山梨の小巾の生地を大量に扱ってる問屋さんを見つけてくれて、京都の傘メーカーに住み込みで働いていました。そのうち3年4年で帰ってきまして、家業である羽田商店で機織りのキャリアをスタートしました。

前原さんのとの付き合いは20年くらい前からとなります。初めは、東京にすごい洋傘メーカーがあるということで、今の時流ではないですけどアポなしの飛び込み営業に伺いました。「一度商品を見てください」とお尋ねしたのが20年ほど前。今の前原光榮商店の社長と名刺交換ができたということから始まりですね。

一番初めは、糸の原糸である白無垢の糸が産地より入ってきます。それを撚糸(ねんし)屋さんというところで、経糸の場合は一度下撚り(したより)をして、その上で2本に合わせ、緯糸の場合は下よりだけをする撚糸を行います。その次の工程が、染色屋さんですね。先に糸を染めるということで、先染めと言うんですが、糸を染めることによって色の振り分けをしています。その後は、糸をボビンに通して織機に乗っかるまでの大きなドラム式のビームに1ロット200mとか500mとか巻いていきます。ここまでの工程を経て、ようやくここで織機の組織に乗せて、経緯とその組織密度等によっていろいろな織りこなしができたりするわけです。最後に検品をして傘の防水加工も工程を終えて、出荷という流れをたどっていきます。

真田耳というのは、元々は戦国時代に真田幸村が組紐のようにして、刀の柄にかけたりとか、鎧兜の絞りを締めたりしていた「真田紐」というところからきています。前原さんの「シャドウ」にも紐ではないですけど、小巾の生地の両側に取り入れています。一般のものは縁の部分にミシンをかけるのですが、真田耳は縁を縫製する必要がないため解けにくく丈夫なのが特徴ですね。以前、巨人軍の終身名誉監督である長嶋茂雄さんの80歳の記念に傘を作るという大きなお仕事させていただいたときにももちろん真田耳を使用させていただきました。やっぱり高級感あふれる傘生地をつくる一つの大きな要素になってるかなと思います。

真田耳

8時半から18時までの操業で昼の休憩時間30分は止めますが、1日頑張って10~11mほどでしょうか。売るものによって密度的なものがあるんで、混んでくるものはやっぱり11mくらい、ちょっと密度が甘いものでも頑張って12mくらいですね。傘にしてだいたい1台の織機で6本から7本ほどですね。

傘生地

こだわっているっていう一言で言うと難しいですが、朝起きて工場に入るまでの心の準備とかルーティンがあります。機神様に水をあげて手を合わせて仏様を祀ってあるので仏様に手を合わせて。うちの織機は5台あるんですけど、親しみを込めて一郎くん、二郎君、三郎君、四郎君、五郎君と名前をつけています。「三郎君、今日もお願いね。」と言ってからモーターのスイッチを入れます。普通の人からすると何をやっているんだよと思うかもしれませんが、やっぱり戦友であり同士である織機とともに一本一本想いや丹精を込めています。

機械もそのくらい可愛がっている自分の本当に分身みたいな形ですよね。で、ちょっとこう織機の音が具合悪い時にあれどっか調子悪いのかな? ちょっと点検しなきゃなとか油が切れてるかなっていう、大きな怪我の前に気がつかせてくれる。そこには織機は答えてくれませんけど、音であったり、ちょっと粉が吹いてきたりという何かの形で目視できて、自分がそのメンテも行うことができます。メンテナンスも一時は地域に10人近く職人さんがおられたんですけど、もう僕の知ってる限り 2人くらいになったかな? その一人も70半ば過ぎですけど、その職人さんが「メンテも部品も、極力自分で自分でどんどんいじりなさい。困ったときには、ちゃんと最後にアドバイスに来てあげるから」といってくれるので安心ですね。普通そんなことはしないらしいんですけど、職人技をわざわざ伝授してくれて、先日も「ちょっとこれうちではもう使わないから羽田くんとこで置いといて」と言って色々な部分の消耗品パーツを分けてくれたりとかもしてくれています。実際に、織機の消耗品のお店も廃業されたりしているので。まあ、結構買い置きはしてあるとはいえ、そういったところの不安は今後もちょっと拭えないですね。

織機

今、この年になると天職だったなと思うんです。18歳で京都に修行に出されて、傘の売り子に立ったこともありますし、折りたたみ傘の修理や手元付もしていました。今は生地を織り上げていますけど、若い時に製造から販売まですべて行う最前線にいましたから、傘に関しては本当に自分の人生を刻んでいるので、自分で言うのもおかしいですがこんなに通で傘全体のこともわかっていてしてる生地の職人は多分いないんじゃないかな(笑)。前原さんのシャドウの25番は、企画して売り出してからもう何年も経つんです。それが、未だにヒットしていて「一番売れているんですよ」って言ってくれることが張り合いですよね。そこに尽きると思います。

たかが傘ですが、されど傘。長い時間をかけて自分の魂を織り込んでいるので、ぜひ小巾の傘を手に取って大切に使っていただけると嬉しいです。