
前原光榮商店のつくる
日本製洋傘
前原光榮商店は1948年の創業以来、「日本製洋傘」にこだわり製造を続けています。 傘の根幹をなす「骨」「生地」「手元」をはじめとしたパーツは、昨今では後継者不足や素材の入手困難などの理由で年々入手が困難になっています。 そんな中、前原光榮商店ではできうる限り質の高い日本製のものを厳選し、熟練の職人たちが手仕事で傘に仕立てています。 製造工程も創業以来変わっておらず、昔から受け継がれてきた職人技は様々なパーツから垣間見られます。 ここでは前原光榮商店の「傘」という字に含まれる4つの「人」をご紹介いたします。
生地を織る
その昔、甲斐織物の産地であった山梨県の富士山麓で現在も傘の生地「甲州織」が製造されています。 甲州織は伝統的な機(はた)では、経糸(たていと)を一本一本手作業で織機にセットし、ゆっくりと丹念に織られています。前原光榮商店で取り扱っている生地は、そのほとんどが先染め(さきぞめ)の生地です。 先染めとは、織る前に予め必要な色の糸を染めておくこと。このことによって生地の発色が増し、繊細で奥行きのある柄を生み出すことできるのです。
その甲州織の中でも、前原光榮商店で扱う「小巾(こはば)生地」は富士山麓の小さな工房で丁寧に織られています。 昔ながらの幅の狭い織機で織られた小巾生地は、経糸に撚り合わせた糸(双糸)を用いることでさらに密度が高く贅沢な生地。 また反物の耳をそのまま傘の”ふち”として活用することができ、傘に仕立てた時に無駄がなく高級感のあるシルエットに仕上がります。

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骨を組む
角材をステッキのような形状に削り出し、熟練の職人の目分量で熱を加えながらまっすぐ中棒を仕上げていきます。その後、磨き上げた中棒に「はじき」というピアノ線のパーツを手作業で埋め込み、骨を組んでいきます。ワンタッチで開く傘が主流の昨今ですが、前原光榮商店では昔ながらの手開きの傘を製造し続けています。 中棒にそって、丁寧に手で傘を開く動作。 この動作一つとっても、中棒の仕上げにこだわった傘は、ロクロの滑らかなの滑りをお楽しみいただけます。
複雑な構造をしている骨組みは、非常にたくさんの微細なパーツによって組み立てられています。1cmにも満たないビス一本とってもなくてはならないパーツです。 それらは昔から継承されてきた工具を用いてすべて熟練の職人によって手作業で仕上げられていきます。

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手元をつくる
傘の顔ともいえる手元は長く付き合う相棒のような存在の傘手元。前原光榮商店の傘手元は、種類豊富で味わいのある木製の手元が魅力の一つです。 火を使って熱を加えたり熱湯につけてやわらかくしたりと、木の素材に応じて様々な方法で「曲げ」を行います。 経年変化を特に楽しむことのできるパーツはこの手元の部分。使うほどに艶を増したり、飴色に変化したり、持ち主の手になじんできます。少しの傷がついてもそれは味わいとして楽しむことができるでしょう。
昔ながらの技術で塗装を行う手元職人・佐伯氏。熱を 海面を使って数回にわたり塗装を行います。 この手間をかけた「塗り」の工程が、使えば使うほどツヤが増し深みのある手元を生み出すのです。

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傘に仕立てる
織りあがった生地と組み終えた骨は加工職人に引き継がれ、傘に仕立てあげます。 大量生産品では作業効率性を上げるために10枚以上の生地を重ねて裁断する場合もあるなか、 前原光榮商店では裁断時の精度を優先して、手間がかかっても4枚重ねでの裁断を守り続けています。 加工職人が自ら調整して制作した三角形の木型を生地にあてて包丁で裁っていく、このミリ単位の作業が完成時の良し悪しを大きく左右します。
傘職人は単に生地コマを縫い合わせて骨に張るだけではありません。
ロクロを隠す「ロクロ巻き」、細く丁寧に縫われた「ネーム紐」、骨の先端で生地をつなぎとめる「つゆ先」、
雨水が傘内部に侵入するのを防ぐ「菊座」、菊座を固定する「陣傘」など、非常にたくさんのパーツを製作して取り付けます。
長年の作業で体にしみ込んだ動きは一切無駄がなく、職人たちは淡々と傘を生産していきます。

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